保険制度の限界その2
ブランド品で身を飾り、高級時計を腕にはめているが、口元をみるとびっくりすることがあります。
歯並びが悪かったり、笑った時黒い金属が露出したり、前歯が欠損していることもときにはあります。
しかし、この現象は必ずしも本人だけの問題ではないと思います。
歯科界の関係者が、歯並びは何が正常で何が異常なのか、どのような状態が健康を表すのか、真っ白で綺麗な歯はその人の人格とどのように関係するのか等を啓蒙してこなかった責任は大きいと感じます。
何のインフォームド・コンセントもなしに診療行為を行い、患者さんに対し、
「現在の歯科医療は保険制度の制約があるので責任は医療者にない」
「保険で縛っている医療制度の責任」
とばかりに平気で歯に黒い金属を被せたり、詰めたりしている現在の歯科医療の実態を考え直す必要があります。
白い歯は贅沢品である時代はもうとうに過ぎています。親から授けられた真っ白で真珠のような歯が光る口元にすることは当然です。
そうでなければ歯科医学は日進月歩で進んでいるとは到底いえないと思います。
国民はより価値の高いものや耐久性のあるものを求める傾向を示してきています。金額は少し高くても、価値のあるもの、理由のあるもの、必要なものにはお金を支払うという傾向が表れるようになりました。
これが信頼関係で結ばれた社会、すなわちコミュニケーション社会だと思います。
最近では、医療の質をすべて均一化し、医療を行うのがどのような者でも、すべて同じ評価を行っています。つまり、大学の高名な教授が手術を行っても、研修医が行っても同一の評価であるという不公平が生じています。
さらに、日本の医療費は国の財政により決定され、完全に統制が敷かれた制度です。旧ソビエト連邦で始まった社会主義が日本で完成されたと皮肉をこめて医療保険制度の評価をする人もいるほどです。
ドイツの保険制度では、保険点数において、大学教授は一般開業医の3~8倍の評価があります。また大学教育に協力していただく患者さんの負担を減らす目的で、学生の行う診療の保険点数は低く抑制されています。
経験や能力が均一化され、誰が治療してもすべて同じという評価は不公平の最たるものです。
日本の保険制度の最も評価できる点は、自由診療が許されていることです。
つまり、学問優先で質を守り、患者さんの利益となる方策がとれることが唯一の救いでしょう。
良質な医療は「適切な人」が「適切な方法」で「適切な時」に行う医療であり、希望する人にとって最善な医療が行われることです。
生体安定性が高く、安全でしかも安心できる医療を行おうとすれば、自ずから保険の範囲では不可能です。
歯科治療は自然治癒を導くことが少ない一分野であり、いろいろな生体材料を体の一部として用います。
そのため、材料費、技工料などが必要であり、これが一般の医療にはない特徴であり、歯科医療費が高額になる原因です。
しかし、国の財政の制約のある保険医療の下では、不十分な歯科材料を使わざるを得ないのが現状。
このあたりの事情を国民に知ってもらう必要があります。
歯科医師が保険中心の医療に麻痺しているため、国が指定しているのであるからといって、何の疑いもなく不十分な材料を使用するのは恐ろしいことです。
2010年05月25日
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